アストンマーティンへの軌跡 その6 芸能人
イギリスに行き、イギリスの文化に触れ、さらにイギリスに傾倒した私。
(絶対に、アストンマーティンを手に入れるんだ!)
決意が固まります。
しかし、サラリーマンの収入ですと、アストンマーティンどころが、ジャギュアだって買えません。
たとえ買えるだけのお金を貯めたとしても、サラリーマンでしたら、とても外車は買えません。
この当時のノリですと、
"外車なんか乗りやがって、生意気なぁ!"
でしたので。
そこで考えました。
(そうだ、芸能人になろう!)
単純なガキ。
そこで大学に通いながら俳優養成所に通いました。
大学はちゃんと4年で卒業しましたが就職活動は一切せず、そのまま芸能界に入りました。
TVでは「必殺仕事人」とか「赤かぶ検事奮戦記」、また商業舞台は、新歌舞伎座で行われた「田村正和ショー」や「山城新伍ショー」に切られ役で出演しました。
五木ひろしさんが新歌舞伎座で座長公演を行われたとき、アストンマーティンV8ボランテに乗って大阪に乗り込まれました。
新歌舞伎座の楽屋入口に、紺色ボディでアイボリー色のルーフのアストンマーティンV8ボランテをいつも停められていて、鳥肌モノで見つめていた記憶があります。
多分、東京モーターショーで展示されていた日本上陸第一号のボランテなのでは?
五木ひろしさんなら、それだけの財力はお持ちでしょう。
ちなみに五木ひろしさんは、89年式のアストンマーチンV8ヴァンティッジ・ザガートもお持ちだったようです。
五木ひろしさんが新橋演舞場で公演されていたとき、友人のハナ肇さんのお弟子さんが出演されていたので楽屋に遊びにいきました。
『座長がね、白いアストンマーチンV8ヴァンティッジ・ザガートに乗っていてね、運転させてもらったんだよ......「特注でオートマチックにした」っていってて......一生の思い出だな、あれは......』
(羨まし~いぃぃぃ~)
心の中でそう思った私でした。
現場スカウトで上京し、財津一郎さんが所属する事務所に身を置かせてもらい「小林幸子ショー」「島倉千代子ショー」「千昌夫ショー」等に出演させていただきましたが、商業演劇に大部屋で出ていても生活費も稼げません。
仕方がないので、自分でネタを書いてお笑い芸人に転身。
毒ネタ連発のマニアックなネタでウケをとり、ホリプロダクションに引っ張られました。
『なるほどザワールド』『HOTめだま』『クイズ年の差なんて!』等、フジテレビ系の番組の前説をやらせていただいて、『HOTめだま』『クイズ年の差なんて!』『新春スターかくし芸大会』等に出演させていただきました。
この当時はまだ昭和。
今のようなお笑いブームはありません。
かなり忙しい状況だったのですが、ギャラは安く、アストンには程遠い。
「ウッちゃんナンちゃん」「バカルディ」「B21スペシャル」らとお笑いライブや営業やってました。
彼らもまだ食えるほどではなかった時代でした。
1989年、29歳。
年齢的にも限界を感じ、芸能界から転身することにしました。
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